東日本大震災から1年が過ぎた。
しかしながら、被災地の復興は思うように進んでいない。
政治が政局を優先し、ものごとが決められない。震災の復興がなおざりになっている。
一方、新聞・テレビも同様だ。
震災1年目の3月11日前後の数日間こそは、震災と原発事故の報道一色に染まった。
それから3週間が過ぎ、震災の報道は影をひそめ、政局論議に明け暮れている。
実は、3月11日前後の震災・原発事故報道の内容に僕はひどく違和感を覚えている。
どの新聞もテレビも、「悲しみの報道」なのである。
とくにメディアは震災以来、福島をカタカナの「フクシマ」で報じている。
カタカナ表記にする理由は、核問題で世界的に知られている都市、
「ヒロシマ」「ナガサキ」と同等に扱いたいがためのようだ。
しかし、いま被災地は、新しい一歩を踏み出している。
福島の農家の人たちは「『フクシマ』から元の『福島』に戻りたい」と強く願っている。
にもかかわらず、その思いとは異なる報道内容に偏っている。
先日、僕は福島県の二本松市へ行った。
いわき市の中学生たちや、福島の農家を支えている大学の研究者たちに会って話を聞いた。
その話のなかで農家の人たちの次の言葉に僕は関心を持った。
「たまたま福島の農家に生まれたので農業をやってきたが、東日本大震災と原発事故で
農業に対する意識がまったく変わった」
原発事故以来、福島の農産物は、放射能汚染が懸念された。
農家の人たちもその影響を心配した。
ところが、当初、農産物は意外にもよく売れたという。
全国の人たちが「福島は大変だ」と同情し、買ってくれたからだ。
さらに、福島の農家の人たちが、放射能問題に真剣に取り組んだことも大きかった。
農地を30センチほど掘り返して除染する努力を地道に重ねたのだ。
「放射能に負けない農業」「原発事故に負けない農業」を彼らは目指して、
懸命に努力したのだ。
福島には、もともと有機栽培や無農薬栽培に取り組む農家が多い。
彼らの農産物を買う消費者は、品質に敏感な人たちだ。
だから、農産物の安全性を積極的に訴える農家の人たちの努力が、
消費者の心に届いたのである。
ところが、その福島の農産物が急に売れなくなる。
昨年10月、県は安全宣言を出し、福島県産新米の全面解禁に踏み切った。
その1カ月後、一部地域で収穫された米から基準値を上回る放射性セシウムが
検出されたのだ。
そのことが、メディアで大きく取り上げられたのがきっかけであった。
このときから福島の農家の本当の闘いが始まった。
「あんな安全宣言は出してほしくなかった。県はすべて把握したうえで
安全宣言したわけではなかったから」と農家の人たちは言う。
汚染米で信頼が失われた後、農家の人たちはどうしたか。
県も農協も当てにならないと思い、それぞれの農家が消費者に向けて
直接販売するようになった。
顔と顔とをつなぐネットワークをつくったのである。
「○○さんが作った農産物なら安心できる」という、生産者と消費者をつなぐ
信頼のネットワークを築いたのだ。
その努力の結果、消費者は少しずつ戻ってきたそうだ。
いま福島の農家の人たちは、農家に生まれたから農業をやっているのではない。
福島を自分で選び、福島を愛しているからこそ、歯を食いしばって
農業を続けているのである。
福島県の「桃」は、県の代表的な農産物である。
贈答品に用いられる高級品としても有名だ。
ところが、昨年は放射能汚染問題のため、スーパーマーケットなどでは、
価格が5分の1まで下がった。
今年は「福島産の桃」を再び贈答用として市場に出したいと考え、
桃栽培農家は必死になって闘っている。
このように、「福島」を取り戻そうと福島の人たちは懸命の努力を
しているのである。
ところが、メディアは相変わらず「フクシマ」を報道し続けている。
僕たちが目を向けるべきは、「フクシマ」から「福島」へ変わろうと
努力を重ねている人びとの前向きな姿ではないのか。
この1年の間に、農業をあきらめて福島を出ていった人たちがかなりいるそうだ。
なかには、不幸にも自ら命を絶った人もいる。彼らは十分に頑張っている。
「福島」を「フクシマ」と呼ぶのはもうやめる時期にきている、と僕は思うのである。
昨夏、都内のある駅前で、軽トラで、モモの叩き売りをしているシーンに出くわしました。福島県の農業再興は、本当に難しい問題だと思います。
書名は片仮名ですが、『裸のフクシマ』(たくきよしみつ著)を読むと、同じ福島県人でも、考えが主に二派あることが分かります。たくき氏は1Fから30キロ圏内の川内村に住んでいます。一派は、懸命に農業の復興、地方の自立を模索する派、もう一派は、この期に及んでも中央からの交付金、今回の事故の賠償金に頼ろうとする派です。「賠償金交渉に影響が出るから(低線量の農地でも)作付けするな」との指導をする指導者もいるとか。
福島、福島っていうけど、放射能汚染に県境はない。首都圏も(少しとはいえ)汚染された。そうした現実の中で、僕らは生きているし、これから何十年も生きていかなければならないんだな、ということです。マスメディア(つまり東京在)の方も、そんな環境にいるってことです。片仮名のフクシマは、とても分かりやすいレッテル張り。「じゃあ、お前はどうなんだ」ということです。もっと普通に付き合いできればいいですね。
私の母は被爆者手帳を持っていないが、8月6日の時の衝撃波で自宅の窓ガラスが割れた記憶を持っている、今では黒い雨が降った地域と検討されている地域に自宅があったことで被爆者、私は被爆2世。田原さんのご意見が正論かどうかは、後4年くらい待って判断しても遅くない。2012・4・1の「たかじんのそこまで言って委員会」カタカナの「ヒロシマ」の持つ「ある種のマイナスイメージ」の「ある種」は何の意味?
そもそも地名をもって、問題の代名詞にするというのが筋違い。
ノーモア原爆、ノーモア原発で十分である。
問題の本質が解っていない方々の勇み足であり、観念的な捉え方であるとも言えるだろう。安易な言葉は反省すべきである。
同感です。
フクシマとカタカナ表記することももちろんですが、物事を何でも一般化し集団化し、個を見ようとしないことをやめるべきと思います。がんばっている人もいれば、がんばっていない人もいる。安全なものもあれば、安全でないものもある。それは一つ一つを丁寧に見ていくしかない。それは私たち一人一人が心を込めて行動するしかないと思います。
私の母は被爆者手帳を持っていないが、8・6の衝撃波で自宅の窓ガラスが破砕された記憶があり、現在では黒い雨が降ったと専門家によって検討がされている地域に自宅があったから、私は「ヒロシマ」の被爆二世です。田原さんのご意見が正論であるかは、4年くらい経ったら判明するでしょう。2012・4・1「たかじんのそこまで言って委員会」での、カタカナの「ヒロシマ」が帯びている、「ある種のマイナスイメージ」の「ある種」は何の意味?
同じ発音の「福島」と「フクシマ」、文字を見てそれが意味するものは、
原発関連で報道されてきた事もあり、印章は大きく違いもする様な気もします。
同じ様にヒロシマ・ナガサキもカタカナ表記の時が有る様な気もします。
どちらにも放射性物質は有ったとも思いますし、
半減期は数万年単位なので、70年前と言う単位は
放射性物質自体にとっては、ついさっきの様なものだと思います。
でもそこに人がたくさん住んでいて、経済活動をしていると思います。
その中には農魚産品だってありますし、普通に皆食べていると思うのです。
この違いはいったい何なのでしょう?
当時は除染業者もいなければ、
放射能に関する知識も一般には浸透していなかったですけれど、
取り分けがんの発症率とか、他の病気とか突出してはおらず、
平均的と言った感じなのではないでしょうか?
何が言いたいのかを言えば、普通にメディアの情報を見ていても、
広島や長崎との比較が余りにも無いですし、
さっき言った事もとりわけ報道されてもいないので、
多分普通の感じなんだろうなと想像だけです。
けれど、今現在、人が普通に暮らしているあの地域との比較を
沢山メディアには教えていたいなと思うばかりです。
本当に人が暮らせない食べ物も危ないレベルとか、
レベルのコンセンサスが一般と確定している訳でもないですけれど、
完全に把握と言うのかコントロールを見せられない発表が、
意地でおっしゃられて居る様な事を招いたような気がします。
風評被害を小さくするには、・・・
暫定値は安全神話を補強する道具? WHOとIREAの基準値は?
http://ameblo.jp/phrasemonsters/entry-10838902526.html
また放射性物質は、除染とか除染業者とは言わずに、
「採取」とか、「採集業者」と言った方が妥当なのかもしれません。
大きな意味で、大量?の放射性物質が降ってきた畑で、
例えば放射性物質を吸収しやすく刈り取り易い草を植えて、
それを処理施設へ納めると言う業務も又、
普通の農家さんにもできる仕事の様な気もするのです。
完全には無くなりはしないでしょうけれど、広島や長崎の様に、
平常通りに何でも出来る様に成れれば良いなと思うばかりです。
67歳の7年前から田舎暮らしをしていますオヤジです、福島の山のてっぺんで手作りの小さな手打ち蕎麦屋をやってます。朝まで生テレビで田原さんを知ってから気を付けて田原さんの出るテレビを見ています。ここ1年の価値は世の中の実態がいろいろ見えたことです、醜い汚い自分だけが良ければいい!日本人の誇れる心ある言動、
何が絆だ!気持ち悪い!絆絆ちゃんチャラおかしい!黙って人のため、世のためやれ!と言いたい、何がロン、康だ、なんで原子力を選択したのか、アメリカの圧力
か、政治家でありながら自分の事ばかり、世界で唯一の被爆国日本、最終処理の出来ない、原子力をなぜ選んだ!ここでまだ再起動を考えている今の政治家、まだ分からないのか、である。そこでアメリカから生産物賠償責任のもと復興資金をバッチリ
取れない物ですか?疑問を持っとります、教えてください。福島と言うだけで、風評
被害は生半可ではありませんよ、知ってほしい。突然ここにこのような事、書き込みいたしました事、お許しください
当たり前のふくしまが「福島」、当たり前でないふくしまが「フクシマ」。だから、原発被災地のふくしまを語るときは「フクシマ」でいいと思う。フクシマと書くことに「差別」と反発する被災者もいるようですが、一つの言葉にさまざまの思いを抱く人がいるのはやむを得ないこと。むしろ「福島」と書くことによってふくしまの現状を覆い隠すことにならないか。時流に迎合した言葉狩りもまた「差別」であることもお忘れなく。田原さん、軽率な「したり顔」をしていませんか?