今年も残りわずかとなった。この1年間も、多くの人と会い、いろいろな話を聞いた。
テレビ番組にも出て、原稿を書き、講演会で日本各地を訪れた。
海外にも取材に行った。休まずに走ってきたと思う。
この年齢になって、いったいなぜこんなにも忙しく過ごしているのだろうと、
我ながら笑いたくなることもある。
しかし、僕は一生、いちジャーナリストでいたい。好奇心のままに仕事をし、
人生を駆け抜けたいのだ。そんな人間のあり方のお手本にしている作家がいる。
森鴎外である。
僕の好きな作家が明治の文豪とは、意外に思われるかもしれない。
実は、若いころから鴎外が好きだったのだ。
大学の卒論のテーマは、「鴎外をめぐる女たち」だ。
鴎外は、海外留学中に知り合ったドイツ人女性と恋に落ちた。
帰国すると、その女性が日本にまで追いかけてきた。
結局、説得して国へ帰すのだが、情けないことに、説得したのは、
鴎外自身ではなく父親である。
初期の代表作『舞姫』のもとになったエピソードだ。
その後、鴎外は母の勧めで結婚。無事に長男が生まれるものの離婚する。
後に再婚し、4人の子どもをもうけた。
鴎外は「闘う家長」というイメージが強い。
ところが、実の母親をはじめ、ドイツ人女性、最初の妻、二番目の妻と
4人の女性に翻弄されてきた、と僕は卒論で論じたのだ。
鴎外は、弱い男だと思う。
けれどその弱さを克服して、作家としてラジカルに生きた。
一方で軍医総監として、そしてまた家長として、体制内に留まった。
先日、僕は自伝『塀の上を走れ』を書いた。
そこで、自分の生き方をドロップアウトならぬ「ドロップイン」という言葉で
表現した。
仕事はラジカルに、そして自分の属する組織を自分から捨てない。
無茶をして迷惑もかけるが、家族は守る。
この鴎外こそ、まさに「ドロップイン」の元祖なのだ。
かつて僕は、自分が司会を務めたテレビ番組で、時の首相3人を追及し、
退陣に追い込んだ。
だが、いくら首相を攻めたてても、いくら政権を交替させても、日本はちっとも
よくならない。そのことに気づいたのだ。
もはや壊すべき強固な「体制」などない。
むしろこちらがさまざまな提案をしていくべきだと考えたのである。
僕のこの「転向」に対して、「田原は日和(ひよ)った」「体制側に寝返った」
などと非難された。
だが、これは思想の「ドロップイン」なのだ。
傍観者の視点からは、何も生まれない。目指すのは、日本をよくすることだ。
だから僕はどう言われてもよい。
まもなく、安倍政権が誕生する。
政権が変わっても、僕は変わらずに、日本が少しでもよくなるなら、という気持ちで
活動していく。そして、来年も突っ走り続けていきたい。
卵の殻は、外側からより内側から破る方が、
破れ易いものなのかもしれませんね。
良い意味でドロップインする事により、
外側からは見えなかった部分もあるのやもしれませんね。
ドロップインと人は簡単に言うかもしれませんけれど、
話を小さくして考えれば分かり易く、
よその世界に入ったとしても浮いてしまったり、
中々核心部に近づけさせないようにされたり、
外側の人を抱える事で、
公平性を装っているだけと言うのも有りますし、
まして日本が少しでも良く成る為ならと、
いろんな集まりの中に入って中からの提案を目指す、・・・
中々できる事ではありませんよね。
凄い挑戦だと思います。
アニメ「侍ジャイアンツ」のバンババンは、銛で鯨と戦う。敢えて鯨に飲まれ、胃を掻っ捌いて出てくる。何かを、外から変えるのでなく、中から変える。その考えは、一理あるし、大いに有効だと思います。
でも、一度、体制側に入ると、その居心地良さに、骨抜きにされる、というのも往々にしてあることですね。公務員でも政治家でも、判事でも大手マスコミ人でも、どんな職業人でもそうですが、最初は理想とやりがいに燃え職に就くが、いつの間にか、実利(高給)にしがみつく、というようなことは大いにあり得ます。
田原さんがそうだとは言いませんよ。ただ、世の体制側、エスタブリッシュメント側の人は、そういう人が多いな、と感じます。
残念ながら、人は誘惑に勝てるほど強くないということですが、弱くとも、弱きものに対して優しくはありたいものです。
?????????????AKB???????????????????
正直言って、以前、田原さんは胡散臭い進歩的文化人あるいはメデイア人間だと思っていましたが、数年前から、オヤッと思う事があり、その矢先、あるニュース番組から降りられました。丁度その頃、私は定年を機に、かねてから疑問に思っていたあの戦争のいきさつを知りたくていろいろ調べた結果、自分なりに納得のいく『学校で習わない日本の近代史』を上梓しました。田原さんの近代史のご著書も丁度その頃でした(内容的にはかなり似ていたように思います)。それまでの田原さんへの先入観とはかなり異質なものを感じ、『日本の戦後史・上・下』を拝読し、やっとその疑問が解消しました。私も、70年安保、全共闘時代をすごした者ですが、当時は本当に世の中の事を知らなさ過ぎたと自省しています。田原さんのような方でさえ、そうならばまして凡夫は当然としかいえませんが、このブログを拝見し更に田原さんへの尊敬の念が増しました。
例えば、鳩山さんは愚かな首相との烙印を押されていますが、私は、確かに彼はお坊ちゃんで力が無かったが、言われていたことは間違っていないと思っています。普天間の問題も、あれほど沖縄が嫌がっているのなら少なくとも県外へと言うのは至極当たり前のことで、本来ならば朝日などは社を挙げて支援すべき事なのに、一国の首相をアホのチョンのと愚民を駆り立ててつぶしてしまったのには大変な憤りを感じています。海兵隊の揚陸艦が、佐世保に常駐している以上、その主力を九州に移転しても抑止力には何の支障も無いはずです。裏で、首相でも口に出せない何らかの力学が働いたものと思います。自主独立とはどういうことなのか、何が道理なのかが分からない無脊椎動物が跋扈するこの国のメデイア、世論、それに迎合する政治家には大変な危惧を感じています。
田原さんのような、存在感のあるジャーナリストが、私利私欲を超えて国の為に尽くしていただけるのは大変有難い事です。日本語の国はあいまいですが、国とは、統治機構としての国(government,state)と、領土、国民、文化の集合体である祖国(country)があり、当然ながら後者の意味です。人それぞれに、思想、信条、環境は異なるので、さまざまな意見があることは当然ですが、是非、相手の意見も聞きながら正論を語り合える世の中に是非変えて行っていただきたいと思います。これからも、色々な、雑音、風圧があるでしょうが、めげずに頑張ってください。
「ドロップイン」いい言葉ですね。
「ドロップアウト」は簡単ですが、「ドロップイン」は結構難しいものです。
しかし、そこにこそ、変革のチャンスがあると思います。
さて、中国についても「ドロップイン」が注目されると感じます。
「新華社、習近平総書記の横顔紹介記事やプライベート写真を配信」
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00237639.html
習氏は一旦下放されたが、やがて頭角を現し、内部から改革する人物になるような気がします。
習氏は“現在の中国共産党幹部の演説や文章を、「冗漫、空虚、偽り」で覆われているとし、文章や演説をもっと判り易くし、国民に理解できるよう改革する必要性を主張している。「一般大衆は歴史を作る原動力だ。腹を割って話さなければ、大衆は理解できない」と述べ”(wiki)ているのは、その第一歩になる発想だと思います。
中国流ゴルバチョフになる可能性があると考えています。