3月17日、中国で全国人民代表大会、いわゆる全人代が開催され、習近平氏が国家主席に就任、「習近平体制」が発足した。この新体制に対して翌日の朝刊各紙は、一斉に「対日強硬路線」と報じた。尖閣諸島をめぐる問題などを背景に、中国は武力行使も辞さない姿勢を続けるだろう、というわけだ。だが、本当にそうなのか。
いま中国は、高度成長の真っただ中にある。実はこの高度成長にもっとも貢献している国は、日本なのだ。このことは中国側もはっきりと認めている。中国の成長への貢献の割合は、日本が約6割だと言われている。ちなみにアメリカが約2割、韓国は1割に満たない。国民に経済成長を約束している中国にとって、日本の存在が不可欠なのは、間違いない。
その日本に対して、中国が戦争を仕掛けてくるはずがない。当然、アメリカを相手に戦争をするはずもない。それなのになぜ、習近平氏は演説の中で、いまにも戦争を仕掛けるかのようなことを言うのか。
実は、中国政府は危機感を持っている。挑発的な演説は、この危機感の表れだと言っていいだろう。なによりも軍部に気を遣っているのだ。武力を独占する軍部がクーデターを起こして、政権をひっくり返すことは歴史上、多くの国で見られる。そのことを中国政府は恐れているのである。
そしてもうひとつ、国民が怖いのだ。中国には「言論の自由」がない、とよく言われる。だが、そんなことはないと僕は思っている。いまの中国には、確実に「言論の自由」が育っている、と実感しているのだ。
「日中ジャーナリスト交流会議」という、中国人ジャーナリストとの交流を、僕は続けている。年に2回、日本と中国で交互に開催し、2012年6月には、沖縄の地で7回目の会議を開いた。この会議の第1回目のとき、「中国は、経済は自由だが、政治は違うじゃないか」と中国人ジャーナリストに言ったことがある。僕の言葉に、彼らは顔色を変え、「そんなことを言うなら帰る」と怒りを露わにして席を立ってしまった。ところが5回目くらいから雰囲気が変わった。同じ質問を彼らにぶつけると、「おっしゃるとおりだ。だが政治もどんどん変わる。民主化、言論の自由を考えると、いずれ中国も多党制になるのがいいと思う」とまで言うようになった。
共産党一党支配の国で「多党制が理想」と言えるまでになったのだ。もちろん「制限付きの自由」である。「微博(ウェイボー)」という中国版のツイッター上では、発言のおよそ8割が政府批判だという。力で押さえつけすぎて中東のようなクーデターが起こるより、適当にガス抜きをさせたほうがいいという判断である。政府は「批判」までなら許しているのだ。だが、許されるのは「批判」までで、「政府を倒そう」「集まろう」というような行動を伴う書き込みは許されていない。
さらに付け加えれば、世界から孤立することも中国は恐れている。アメリカ主導で進められているTPPは、中国はずし以外の何ものでもない。世界からの孤立、軍部、そして国民の不満に対する怖れ。国内外に溢れるさまざまな「不安」から、今回の強硬な演説になった。「強気」なのではない。「強がり」なのだ。
今回の新体制でひとつ、日本にとってよい材料がある。駐日大使を務めていた王毅さんが、外相に就任したことだ。僕は、彼と何度も会って、食事をともにしたことがある。王毅さんは、非常に聡明な知日派だ。彼の外相就任は、日本の対中国外交にとって、たいへんよいことだろう。
それにしても、中国という国家は経済と政治のねじれ現象がどんどん大きくなっているように見える。昔と違って、いまは海外からどんどん情報が入ってくる。その情報をすべて規制するのは不可能だ。民主化の流れを止めることはもはや難しいだろう。
それでは中国は、どうやったら血を流さずに民主化していくのか。習近平新体制がどのようにソフトランディングするかを僕は注意深く見ていきたい。