日本国内の自殺者数の増加が近年いっそう問題になっている。平成21年には、自殺者数が3万2345人に達した。その後やや減少したものの、昨年も2万7858人と、いまなお年間3万人近くの人が自ら命を絶っている。
こうした現象は、日本人の宗教的な死生観によるところもある、と僕は思う。キリスト教では、自殺は「罪」である。それに対して、日本で広がる多くの仏教的な教えでは、善い行いをしていれば「極楽浄土」に行けると解釈している人が多いようだ。だから、どうしようもない状況に陥ったときに「死んで楽になる」という発想を持ちやすい。日本人に「自殺」が多いのは、宗教的背景もあるのだろう。
僕自身は、死にたいと思ったことは一度もない。僕は悩み続けることができないのだろう。問題が起きてしまっても失敗しても、「どうにかなる」と考えてしまう。いくら悩んでも、何も変わらないと思っているのだ。
そんな考えをもつ僕だからこそ、いままさに危機に直面し、苦しんだり悩んだりしている人にあえて言いたい。死なねばならない理由なんて、人生には絶対ないのだ。経済的な問題で苦しんでいる人もいるだろう。恋愛の問題で悩んでいる人もいるだろう。人間関係でつまづいている人もいるだろう。だが、どこかに必ず打開策はあるのだ。
ところで、あまり報じられないことがある。戦後、日本人の自殺者は増え続けている。その「増えている分」はほぼ男性なのだ。たとえば、内閣府や厚生労働省が発表する数字を見れば一目瞭然だ。平成9年までは、自殺者数は2万人から2万5千人の間を推移している。ところが、平成10年に突如、3万人を突破する。この推移を男女別でみてみよう。女性の自殺者数は1万人弱とほぼ横ばい、男性の自殺者数だけが急増したのだ。
そもそも人口比率から考えると、女性の自殺率は低い。動物としてオスとメスの強さの違いがあるのかもしれない。やはりオスに比べてメスのほうが、たくましく、打たれ強いのだろう。
だが、それだけではないと僕は思っている。男性の自殺者数が急増した背景には、確実に経済的な問題があるはずだ。倒産や失業による経済的な困窮、過労による精神的なストレスなど、さまざまな原因がある。
たとえば、中小企業の経営者だ。経営に行き詰まって融資を受ける際に、経営者個人の資産を担保にされる。ここが日本の大問題なのだ。こんなことをする国は、先進国では日本くらいだ。経営に失敗すると個人資産までも一切合財失うことになるのだ。アメリカでは経営に失敗してもまたいちからやり直すことができる。対して日本では、一度の失敗で人生が終わる。だから自殺するしかない、という発想になってしまうのだ。
日本経済を活性化させるためには、いまある規制を取っ払って、どんどん市場を自由にしないといけない、と僕は考えている。同時に、失敗した人たちがもう一度、再起できる社会に変えていかなければならないと思っているのだ。日本経済の再生にはこの両輪が必要なのである。
政府は、アベノミクスの3本目の矢である「成長戦略」を6月までにまとめる。中心となるのが産業競争力会議だ。民間からの委員に、ローソンの新浪剛史社長とともに、小泉政権の構造改革で司令塔だった竹中平蔵さんが選ばれた。その竹中さんに、これら重要な問題をどう思っているのか、どうすればいいのかを僕はとことん聞いた。そして、近いうちにみなさんに紹介したいと思っている。