新国立競技場の建設計画が、白紙に戻った。止めどなく膨れ上がる総工費に対して、国民の怒りの声が渦巻き、とうとう安倍首相が、「白紙に戻し、ゼロベースで見直す」と発表したのだ。
この建設計画は2012年11月、日本スポーツ振興センター(JSC)が、国際公募で建築家ザハ・ハディド氏のデザインを選定した。そのときの総工費は約1300億円だった。そして翌2013年9月に、東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定する。問題はその後だ。下村博文文科相が、いつの間にか総工費が約3000億円にのぼると表明したのである。それではあまりに高すぎると、JSCの有識者会議が修正案を策定し、2014年5月に総工費1625億円で、基本設計を了承した。
ところが今年6月、下村文科相は、総工費2520億円と発表した。しかも、国は半分しか費用負担をせず、他はネーミングライツや寄付で補充するという。さらには東京都にも負担を求めた。資金調達が確定しないまま、建設に踏み出そうとしたわけだ。
怒りの矛先は、膨らむ一方の工費に対するだけではない。たとえば、元マラソン選手の有森裕子さんらが怒っているのは、スポーツ振興基金までが建設費用に回されることになっているからだ。スポーツ振興基金とは、本来、スポーツ選手育成のために使われるべきお金であるにもかかわらずだ。
また、新国立競技場には陸上競技のサブトラックがない。オリンピックでは仮設で対応するという。仮設だから、オリンピックが終われば撤去される。だがサブトラックがなければ、その後、世界大会を開催することができない。致命的な問題だ。
費用が高くなる理由が、本来の競技のためにあるなら、まだわかる。ところが、費用が膨らんだ理由は別にあるのだ。ザハ氏の設計プランの最大の特徴である、「キールアーチ」のためなのだ。このキールアーチが巨大な構造で、工法も特殊なため、費用が膨らんでしまう。だが、このお金のかかるキールアーチを作るのは単なるデザインの問題だ。はっきりいって、競技には関係ない。
どうして、こんなに迷走してしまったのか。素人から見ても、まったくもってわけがわからない。
先日、僕が司会をするBS朝日の番組「激論!クロスファイア」に、元首相の森喜朗さんが出てくれた。森さんはJSCの有識者会議メンバーだ。さらに日本ラグビーフットボール協会会長、日本オリンピック委員会(JOC)の名誉委員でもある。この一連の問題のキーマンでもある。週刊誌には「戦犯」とまで書かれている。
番組で森さんは、新国立競技場はワールドカップ、オリンピック・パラリンピックがあるから建設するのではなく、「国立競技場は老朽化し、耐震補強も何もしていなかった。観客が満杯に膨れ上がるとたいへん危険であり、国の施設として新築しなければならない」という大前提を強調した。
たしかに、意外と忘れられがちだが、新国立競技場の国際コンペが開かれたのは、東京オリンピック開催が決まる前である。さらに、2019年ラグビーワールドカップの誘致の際に提出した資料ファイルには、新国立競技場は会場として想定していなかった。
それはそうとして、建設見直しによって、結果的に、ラグビーワールドカップには間に合わなくなった。番組収録は、それを明確に安倍首相から告げられる前ではあったが、森さんは静かに、「全国にいるラグビーの仲間には気の毒だが、仕方ない」と語っていた。
マスコミは、森さんを悪者に仕立て上げたがっている、と僕は感じた。安藤忠雄さんにしてもそうだ。彼は、有識者会議のメンバーとしてデザインを選んだのであって、責任者とはいえない。ところが、マスコミはわかりやすい「戦犯」をつくりたがる。だから、森さんや安藤さんを攻め立てる。そのいちばんの理由は、おそらく今回の問題の責任の所在がまったく見えないからだろう。
新国立競技場の国際コンペを開催したのは、民主党政権のときだった。だが、実際の建築会社との打ち合わせ、交渉をしたのは自民党だ。そして、自民党政権のもとで、総工費予算は増減した。
JSCは、「専門知識のあるプロもいないし、力のない集団だ」と森さんは語っていた。であるなら、責任は文科省にあるのか。そこもまた不透明なのだ。「透明度がない」と僕がいうと、森さんは、「なくても仕方ない」と返した。
たしかに業者との交渉など、すべてオープンというわけにはいかないだろう。それにしても、今回の経緯はあまりにもひどい。為政者や役人が、競技場を使う選手たち、そして一般の国民たちを見ていない、だからこうなったのではないか、と僕は思うのだ。
新国立競技場の建設計画は白紙に戻った。せっかく戻ったのだから、「仕方ない」と言わず、競技者が使いやすく、適正な予算で、透明度を高くして、計画を進めていただきたい、と思うのである。