9月8日に告示された自民党の総裁選挙は、安倍晋三首相のほかに立候補の届け出はなく、無投票のまま安倍首相の再選が決まった。野田聖子さんは出馬に意欲を見せていた。だが、立候補に必要な20名の推薦人を集められず、出馬を断念した。僕は、この結果をとても残念だと思う。そして、自民党に対して、たいへんな危機感を覚えるのである。
50年ほど前から、自民党の総裁選をほぼすべて僕は取材し続けている。いままでにも、無投票で総裁が決まったことはなくはなかった。しかし、いまのような重大な局面では、必ず複数の候補者が出て、競い合ってきたのだ。
たとえば1972年である。佐藤栄作総理の後継を争って、「三角大福中」と言われた、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘の熾烈な闘い。そして1987年の「安竹宮」の争いだ。中曽根さんの後継をめぐって、「ニューリーダーの争い」と言われた、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の戦いだ。
自民党は総合デパートのような政党である。保守、リベラル、タカ派、ハト派が党内に共存し、議論を戦わせてきた。だから、同じ自民党政権であっても、首相の派閥が変われば、いわば「政権交代」のような形になるのだ。だからこそ自民党は長年、日本の与党たり得た。
ところが今回の総裁選では、単なる無投票というのではなく、何か陰湿な空気を僕は感じた。今国会では、安保法制法案という、日本という国にとって、大変重要な審議がされている。いま、自民党は党内でもっとも議論が行われなければいけないときだ。それなのに、疑問を呈したり、論議をする者に対して、「首相にたてつくのか」と言わんばかりの空気になっている。締め付けが強まっているのだ。
総裁選については、細田派、額賀派、岸田派、二階派といった全派閥が安倍首相支持を打ち出した。たとえば岸田派は、伝統的な「ハト派」である宏池会である。宏池会の名誉会長である古賀誠さんが、岸田文雄さんに出馬を促したが、岸田さんはそれに応じず、安倍首相支持を表明した。議員たちが「造反」とされるのを恐れて、岸田さんの出馬に反対したともいわれている。
総裁選は、結果はどうあろうと、党内で議論をする絶好の機会なのだ。それを封じる自民党の「空気」に、危ないものを僕は感じるのである。だから自民党には、いまや党内野党がいなくなってしまった。僕は危惧するのだ。「バスに乗り遅れるな」、と政治家たちがなったとき、国は滅びる。歴史がそれを証明している。