いま僕は、日本国憲法について取材を進めている。さまざまな政治家や学者に話を聞いている。この取材のなかで、いちばん気になっているのが、戦後の日本にとって「憲法とは何だろう?」ということだ。
日本国憲法は、敗戦後の占領時代に、当時、日本を占領統治していたGHQによって草案が作成された。そして、いくつかの修正を経てできたのが、現在の憲法だ。この経緯は、よく知られていて、「アメリカから押し付けられた憲法」と、とらえる人もいる。だから、自主憲法を制定すべきだ、という声も少なからずあるのだ。
その考えには、僕は賛成しない。だが、戦後、何度も改憲するチャンスはあったのにしなかった、あるいは、できなかったという歴史を感慨深く、そして不思議に感じている。
戦後間もない1955年、自由民主党は結党された。党の綱領には、「平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり」とある。すなわち、自民党結党当時の目標のひとつが、「現行憲法の自主的改正」なのだ。
以来60年、憲法改正のチャンスは、いく度もあった。例えば、自民党の第3代総裁、岸信介首相の時代だ。彼は、憲法改正を真剣に目指した政治家のひとりだ。実現できる可能性も大いにあった。
だが当時、与野党ともに、憲法改正よりも「日米安保条約」の改定を先にという声が強かった。その声は政界だけではない、財界からも強かったのである。だから岸首相は、日米安保条約改定を無事に終え、国民の高い支持率を得たところで、憲法改正への道を考えたのだ。ところが国民は、「安保改定」を「改悪」と捉えた。岸首相は、政権を維持できず、憲法改正を実現できなかったのだ。
近年では、小泉純一郎内閣もそうだ。2005年、小泉首相は、自民党の憲法改正案をまとめるよう指示した。改正案作成にかかわった「ある人物」によれば、その改正案は、民主党や公明党にも配慮した内容で、「十分改正の実現は可能だった」という。また、当時の「小泉人気」は非常に高かった。にもかかわらず、なぜか小泉首相は改正を強く進めなかった。自民党は、日本人の「憲法改正」に対するアレルギーを、よく知っているのかもしれない。
では、なぜいま、「憲法とは何か」を改めて考えざるを得ないのか。言うまでもなく、安保法案の審議が大詰めを迎えているからにほかならない。ほんとうならば安倍首相は、「改憲」を実現したうえで、安保法制の整備を図りたかった。ところが、自民党内では「改憲は難しい」という声が強く、いわゆる「解釈改憲」で押し切ることになったのだ。結果、野党のみならず、自民党が証人として召集した学者までもが、「違憲」だと述べ、混乱が広がった。
何度も書いたことだが、これまでのアメリカ頼みの安保体制のままでいられなくなっているのは事実だ。では、今後、安保体制をどう整えていくのか。この本質的な論議がなされていない、そのことがもっとも問題であろう。
「国のあり方」を議論していない。そこに問題の核心がある、と僕は思っている。そして、「国のあり方」を定めるのは憲法にほかならない。
憲法改正は、自民党結党以来の党是だ。安倍首相は、スタート地点に戻って、「憲法」と「安全保障」のあるべきかたちを、正面から国民に問いかけるべきなのだ。
田原総一郎が言っているのは「憲法」ではなく「憲法典」だ。
本文末尾の「『国のあり方』を定めるのは憲法にほかならない」の部分のみ、その文脈から「憲法」のことを指すがそれ以外は「憲法典」の話。つまり違いを理解していないのだ。
憲法(英語でConstitution)とはその国の歴史・文化・伝統そのものを指し、昔は「国体」と言った。
それに対してその憲法の中でも特に明文化したものを憲法典(Constitutional Code)といい、「憲法第○条」と言った場合はこちらを指す。
こんなことは憲法学の1年生ならば常識なのだが、田原総一郎のようなタレントやマスコミの多くは知らないまま勝手な憲法論議を捲し立てている。現代日本の病の一つだろう。
昔国会で、自民党の赤池誠章議員が「日本国憲法は憲法違反の憲法だ」と発言したとき、その場にいた国会議員のほとんどがその意味を解らなかったという。これが今の現実なのだ。
大切なのはまず日本国民の一人一人が学び、知ることだ。
田原総一郎のようなタレントが憲法と憲法典の違いも分かっていないような発言をしたときに、国民全員が笑い飛ばせる。そのような土壌が形成されれば憲法論議は一歩も二歩も進むだろう。
またこれとは別の問題として、昔は「憲法改正は許さん」と主張していた者が「解釈改憲は許さん。やりたいなら憲法改正すべきだ。」と主張を変えだした。これは何を意味するのか。
憲法改正には国民投票を経なければならないので何年も時間が掛かり、それまで安全保障問題は棚上げになってしまう。その間にCHINAは東シナ海の油田掘削器へ軍事レーダーの搭載を完成させ、次のステージに移るだろう。つまりただの時間稼ぎなのだ。もし私がCHINAのスパイなら当面は憲法改正を声高に叫ぶに違いない。
解釈改憲か憲法改正かに囚われている人は、まず国益とは何かについて考えるべきだ。
たとえ今回の安保法制に対して違憲訴訟が起こされても、最高裁は今回の集団的自衛権が限定的なものである以上、フルスペックの集団的自衛権とはそもそも違い、合憲とするか、国際法等も持ち出してお門違いと判断するか、少なくとも違憲とまでは言わないだろう。
また、次のような重要な指摘がある。
「【安保報道】朝日新聞 憲法学者アンケートの結果の一部を紙面に載せず」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20150722-00047752/
にあるように、朝日新聞のような新聞ばかり読んでいると、やはり判断に誤るのであり、
特に、未だに自衛隊が憲法違反であるというのが憲法学者の多数であり、その一方で
『自衛隊を「違憲」と指摘した学者の大半が、改憲は不要との見解を示した』
というのは、論理的であることに厳しく言う憲法学者自身が自己矛盾をおこしており、
憲法学者というものがいかに日本の古い岩盤になってしまっているかがよくわかる。
憲法学者は、安保法制を違憲という前に、自衛隊の違憲訴訟をやってみられては
いかがかと思う。恐らく怖くてできないに違いない。
要するに、
「非論理的な憲法学者たち」
http://agora-web.jp/archives/1649343.html
にもあるように、『このアンケートで77人の憲法学者の自衛隊が憲法違反(可能性も含む)と回答したのに、99人が「憲法改正の必要はない」と回答したのは、論理的に矛盾している』
のである。
そのような自己矛盾している憲法学者に媚びへつらう新聞は、誠に商売上手であって、哀れと言う他ないし、それに騙されている国民はそれ以上に哀れである。
憲法学者は、今回の安保法制について、安全保障の専門家や国際政治学者によく意見を聴き、“憲法に使われる”のではなく、“憲法を使いこなす”ことこそが、真の「“民主”主義」であることを謙虚に学び直すべきである。
(追記)
田原さんは、ジャーナリストとして、朝日新聞の報道及び憲法学者の自己矛盾についてタブー視せず糺していくべきである。そうでないと、また日本はおかしな漂流をすることになるだろう。