12月26日と27日、安倍首相がハワイの真珠湾を訪問することに決まった。
75年前の1941年12月8日、太平洋戦争は日本の真珠湾攻撃で始まった。この攻撃についてアメリカは長年、「日本のだまし討ち」としてきた。日本の宣戦布告がアメリカ側に届いたのが、真珠湾攻撃の数時間後になったからだ。
しかし、実は、日本の暗号をすべて解読していたアメリカは、攻撃されることを事前に察知していながら、真珠湾に駐留していた部隊には知らせなかった、というのが近年の定説だ。そして、それを「だまし討ち」だと喧伝し、アメリカ国民、そして世界に対して、日本は「ずるい国」だと印象づけた。これはルーズベルト大統領の陰謀だったと言われている。「Remember Pearl Harbor」は狙い通り、アメリカの兵士と国民の戦意をかき立てたのだ。
その真珠湾を、日本の首相が公式に訪問することになった。もちろん、今回の真珠湾訪問は、5月のオバマ大統領の広島訪問と、おおいに関連があるのは間違いない。
アメリカでは、いまなお、「原子爆弾が戦争終結を早め、多くの人々の命を救った」という見かたが根強く残っている。そのアメリカの大統領が、原爆投下の地、広島を訪問したのだ。大きな決断だったことは間違いない。安倍首相の真珠湾訪問は、オバマ大統領の決断に応えた、と言ってもいいかもしれない。
オバマ大統領は、広島でのスピーチで、このように語った。「もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません」「国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう」
安倍首相は真珠湾で、何を語るのか。僕は、安倍首相に昭和の戦争の「総括」をしてほしい、と強く願う。「真珠湾=だまし討ち」説が、ルーズベルト大統領の陰謀かどうかは関係ない。満州事変、日中戦争に続く新たな戦争を、日本が真珠湾から始めたことは、まぎれもない事実だ。
戦後70周年の昨年8月15日、安倍首相の談話では、村山談話を踏襲しながらも、「主語」がすっぽりと抜けていた。開戦75周年の今年、真珠湾で、必ず「主語」を入れて、あの戦争を総括してほしい、と僕は思うのだ。
>ルーズベルト大統領の陰謀かどうかは関係ない
そうですね。ルーズベルトを疑い出すとニューディーラー(社会主義者)の存在が分かってしまう。
そしたらソ連のコミンテルンに疑いが掛かります。
コミンテルンのスパイだった朝日新聞記者の尾崎秀実の事件や、
朝日新聞が「鬼畜米英」と対英米開戦を煽った事実がバレたら、朝日新聞に都合が悪い。
テレビ朝日に番組を持つ田原総一郎さんにとってはタブーでしょう。
日本を占領したGHQもニューディーラー(社会主義者)でした。
田原総一郎さんとしては社会主義者を悪者にしてはいけない、
あくまで謝るのは日本でなければならない、ということでしょうか。
今月の真珠湾においての安倍総理の発言を一番興味を持って聞きたい人は、(亡くなった人も含めた)当時の軍人の方々だと想います。現在、国際貢献されている自衛隊の人たちも現在の行為の意味が75年後の後世の国の代表者の発言に左右されるのですから。安倍総理、私を含めた日本国民の発言に75年前の日本人は期待しています・・・きっと!
貴殿は「主語」を入れた総括をと仰るが、オバマ大統領の広島演説をよく読まれているように思えない。
下記の演説全文には、アメリカが原爆を投下したというような、「主語」はない。
http://m.huffpost.com/jp/entry/10160172
安倍総理の真珠湾演説も、「主語」が必要かは断定できない。
「主語」を入れると、改めて当事者から憎しみが起こり、日米両国民の賠償合戦になりかねない。
また、「主語」を入れると日米以外の国々に対する「不戦」のメッセージにならず、日米両国間だけの問題に矮小化されることにもなる。
「主語」は「人類」や「人間」ということでいいのではないか。
それは決して責任を回避している訳ではなく、総括をしていない訳でもない。
日米の国民に、そして世界に向かって戦争の悲惨さと「不戦」の誓いというものを示していくことに、大きな意味があろう。
平和を願う哲学
先ほどまで朝まで生テレビを観ていた。憲法第9条に関しても、いつもながらの議論が行われていた。護憲か改憲か、、、ずっとずっと日本の対立軸となってきた。
護憲派は平和主義者、改憲派は普通の国を目指す、、、大ざっぱな括りでいくとこのような色分けをされてきたように思う。そういう括りの中では、私は護憲派だった。
しかし、論客達の議論を聴いていく中で、もうそろそろ新しい視点から平和を考えて行かなければならないと思い始めた。
国会での稲田大臣の答弁を聴いていると、そもそも明らかに現憲法下では違憲な自衛隊の存在を余りにも無茶な解釈をもって合憲としてきた事の矛盾から、恐らく本当は能力があるであろう稲田さんが無能に見えてくる状況となるのである。
合憲か違憲かという議論が下火になった事から、実は違憲だという保守系からの本音もみえるようになってきた。
究極の理想とすれば、現憲法の第9条は世界で最も進んだ条文であろう。
間違いなく22世紀のあるべき姿だと思う。
しかし、今の世界の状況をみると、全ての武力を放棄し世界の信義を信じることは、不可能と言わざるをえない。
護憲か改憲かと言う事から、心から平和を願っているか!絶対に人が人を殺す様な事があってはならない!という心の哲学をもつかどうか、これがこれからのキーワードではないか!
残念ながら、これまで国の最高指導者から、例えば原爆記念日、終戦記念日に、選挙演説中の当選する為の熱弁と同じ様なメッセージを聴いた事がない。
もし、今の憲法に対し、子供でもわかる違憲状態を直す為に憲法改正が必要とあれば、
その平和への想いを国民に、いや全世界に届くメッセージを心から伝える事が必要である。
護憲派も矛盾を抱えてしまっている。元々は護憲派のほとんどは、自衛隊は違憲と考えていた。しかし、そこを論議する段階を過ぎてしまった今、とにかくこれ以上軍備拡大しないためには護憲しかないと、違憲である事がわかりながら護憲を訴え続けている。
第3の道、、、、もし9条を変えるとしたら、「最終項に世界統一の警察力が誕生すると同時に、我が国は戦力を全て放棄する」という項を入れる事。
本当に平和を願い、そしてそれでも今は憲法を変えなければならないというならば、護憲派の人達を説得するにはこれしかない。
もし、もくろみがそうではないならば、護憲派には伝わらないであろう。
日本国憲法第9条は究極の理想のものであると改憲派が認める事が必要である。
そして、絵空事ではなく「世界連邦」樹立こそが、人類の目指す道であると私は確信する。