田原総一朗です。
8月24日放送の
「朝まで生テレビ!」(BS朝日)は、
「激論! 戦後80年
日本の平和と日米関係」
をテーマに討論した。
出演者の中で、
あの戦争を知っている人間は
僕だけだ。
中でも、
今回もっとも若いパネリストが
1987年生まれの
安部敏樹さんだった。
相手がどんな人物であれ、
自分の視点から、
率直に独自の意見を語る方であり、
「朝生」にも何度も出ていただいている。
安部さんは、
一般社団法人「リディラバ」の
代表理事として、
「誰かの困りごとから
『問題の発見』を行う事業、
問題を『社会化』する事業」
をしている。
例えば、
「子どもの体験格差」。
家庭の経済状況によって、
子どもの体験に差が出る。
「しかたない」で済ませてよいのか。
このようなテーマに、
まともに取り組もうとしている。
こんな人はめずらしい。
僕にはとてもできない。
7月には「田原カフェ」にも
ゲストに来ていただき、
生い立ちから、
現在に至るまで
じっくりとうかがうことができた。
安部さん自身が、
大変な子ども時代を送ったという。
父親が事業で借金をし、
家庭は困窮していた。
アルバイトをしながら、
大好きな野球を続けていたが、
ある時父親がチームの監督に、
勝手に「辞める」と伝えていた。
安部さんは怒り、
父親を殴った。
ぐれて路上生活を送る日々。
その中で、
さまざまな若者に出会った。
「親にレイプされても、
タバコ押し当てられても、
その数年後に路上で
盗みをやっていたら、
犯罪者として、
社会のクズとして見られる。
好きでそうなったわけではないのに、
大人はそうは見ない。
これは欺瞞だ」
そう考えるようになった。
高校生になり、
「ドラゴン桜」に影響を受け、
東京大学に受かった。
そして、在学中の2009年、
「社会の無関心の打破」を掲げ、
社会問題の現場を学ぶ
スタディツアーを提供する、
「リディラバ」を設立したのだ。
僕は安部さんを
すごい人だと思っている。
なぜなら、
社会問題というのは、
とても難しいものだ。
ある問題は、
ある人にとっては大変困ることでも、
別の人にはまったく関係ない。
その「無関心」を打破し、
社会で共有する課題にするのは
非常に困難だ。
大変な子ども時代を送りながら、
「なぜこんなに
まともな人間になったの?」
僕は問うた。
すると、安部さんは言った。
「20代に、
いろんな人に愛してもらったから。
田原さんもそうだけど」
それは安部さんが、
真っ向から社会の問題に
向き合っているからだろう。
安部さんは僕のことを、
「田原さんほど、
好奇心ベースで
あおってくる人間はいない」
と評する。
僕にとって何よりの
誉め言葉だ。
「いろんな問題が起きると
僕はおもしろいと思う」
と僕が言った。
すると安部さんは、
「それが一番いいと思う。
『共感』はやばい」と答えた。
まったく同感だった。
「『共感』した殺人になる」
と僕が続けると、
聴衆はちょっと驚いたようだった。
安部さんが、
うまく説明してくれた。
「殺人事件は家族、
恋人、友人などの間で
起きるのが過半数。
『共感できるからいい』だと、
共感できなくなったとき、
急に憎しみに変わるから。
田原さんの
『わかんないけどおもしろい』は、
知的好奇心。
排除がないから、
人殺しにならなくて済む。
『共感』は、共感できないと
急に『排除』に変わる」
安部さんの説明を聞き、
今の社会をとりまく
危ない空気は、
この『共感』から
『排除』への急変にある、
と感じた。
戦後80年、
安部さんのように考え、
そして行動する人物が、
日本にいてくれる。
僕は強い希望を感じた。