田原総一朗です。
久しぶりに、
イキのよい論客に出会った。
11月の「田原カフェ」に
いらしてくださった、
社会学者の西田亮介さんだ。
西田さんのことを
「肝が据わっている!」
と思ったのは、
ある論文をきっかけに、
朝日新聞と「冷戦」状態にある、
と聞いたときだ。
その論文のタイトルは、
「その『エモい記事』いりますか
――苦悩する新聞への
苦言と変化への提言」。
2024年3月29日、
朝日新聞が運営する
ウェブサイト「Re:Ron」に、
西田さんが寄稿。
ネット上では、
「エモい記事」論争が起きた。
そして今年7月、西田さんは、
その論文と背景にある、
新聞の窮状を分析した、
『エモさと報道』を上梓した。
では、西田さんが言う、
「エモい記事」とは何か。
著書から引用しよう。
「データや根拠を
前面に出すことなく、
なにかを明確に批判するでも、
賛同するわけでもない、
一意にかつ直ちに
『読む意味』がはっきりしない、
記者目線のエピソード重視、
ナラティブ(物語)重視の
記事のことである」
「そういえば」と思う方も
多いのではないだろうか。
日曜版や夕刊の一面などに、
街のちょっといい話、
記者自身のエッセイなど、
かつての新聞にはなかった
タイプの記事を見かける。
もちろん西田さんは、
こうした記事すべてが
悪いと言っているわけではない。
ネットはともかく、
限られた紙面に、
載せる必要があるのか。
「もっと読むべき、
掘り下げるべき
出来事が世界には
溢れていないだろうか」
と憤るのである。
「この本を手に取った
あなたは物好きだ」
というまえがきから始まる。
挑発的な著書だが、
新聞を始めとする
伝統メディアについて
深く考察されている。
メディアに関わる人間なら、
ぜひ読んでおくべき一冊だ。
だからこそ、
僕がびっくりしたのは、
新聞社が、
この本をほぼ黙殺した
という事実だ。
発刊当時、
新聞の書評欄には毎日新聞を除いて載らず、
半年ほど過ぎて、
東京新聞が
短く紹介したくらいだという。
朝日新聞は、
西田さんの連載を打ち切った。
そしてその後、
「全国の朝日新聞記者が
一人もコメントを
取りに来なくなった」そうだ。
当然ながら、
西田さんは覚悟の上だった。
朝日新聞のこの姿勢は、
メディアとして絶対あっては
ならないものだろう。
「エモい記事」について、
「いや、必要なのだ」と言うなら、
西田さんと討論するなり、
反論記事を載せるなり、
すればいいではないか。
でも、それには応じなかったのだそうだ。
日本を代表するメディアが、
自分たちと違う考え方の
人間だからと言って、
討論も反論もせず、
無視する姿勢は、
それこそが新聞の危機を、
いや、もっと言えば、
民主主義の危機を表してはいないか。
また、西田さんは
テレビ出演もしているが、
関東のキー局は、
「テレビ局が、
コメンテーターの発言を
管理する」ようになっていて、
チェックしているのみならず、
あまりに不適切な発言をすると、
出られなくなってしまうと言う。
対して、「関西の局は自由。
自由過ぎてあぶないくらい」
という西田さんの言葉に、
つい「うらやましい」と
思ってしまった……。
西田さんは、
youtubeや関西の番組で、
他の出演者と激論する。
結果として相手を
怒らせることになっても、
言うべきことを言う
覚悟があるのだ。
熱量のある議論ができる方だ。
今度『朝まで生テレビ!』で
一緒に討論したいと思ったら、
なんと、すでに一度『朝生』に
出演したことがあると言う。
「まだこんなふうに、
大きな声も出せなくて、
2回しか発言できませんでした」。
いつかぜひ『朝生』で、
たくさん発言していただきたい。
僕もとことん西田さんと
討論がしたい。