田原総一朗です。
僕が喫茶店のマスターになり、
ゲストや若い人たちと
とことん話をする「田原カフェ」が、
5月18日に16回目を迎えた。
今回のゲストは、
『13歳からの地政学』の著者である、
国際政治記者の田中孝幸さん。
田中さんは学生時代、
親友がクロアチア人だった縁で、
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を経験。
さっきまで生きていた人たちが、
バタバタと死んでいくのを見た。
「ほんの少し前まで、
隣人として共生していたのに、
人間同士がなぜ殺しあうのか」
田中さんは考えた。
その「なぜ」がわかれば、
世の中に貢献できると。
サラエボに住んでいた別の友人は、
田中さんにこう語った。
「戦争は君らにとっても他人事じゃないよ。
みんな同じ人間なんだから、
こういうことはどこでも起こり得る。
だから、我々のケースをよく研究してくれ。
研究して将来の戦争を阻止したり、
ひどい目に合う人が少なくなるんだったら、
我々の犠牲も報われる」と。
その友人はその後、
戦争のトラウマのためか
自殺してしまったという。
その言葉は田中さんへの遺言となった。
田中さんは言う。
「こんな悲惨な戦争を、
自分の子供や次の世代に、
味合わせては絶対だめだと思いました。
これは田原さん世代も、
思ったことだと思います」
まさにその通りだ。
田中さんは友人の故国で戦争に遭遇し、
僕は子どもの頃、太平洋戦争を体験し
「日本に二度と戦争をさせない」と誓っている。
世代は違うが、
同じ使命を感じているジャーナリスト同士だ。
とてもうれしく、心強く感じた。
ただ、現実論として、
「戦争は駄目だ」と言い続けても、
平和は達成されない、阻止できない。
ある国が戦争に陥るというのは、
いろんな力学が働く。
田中さんはそこを「研究しよう」と誓ったのだ。
「昨日までの隣人が殺しあう」、
その悲劇は今まさに起きている。
言うまでもなく、
ロシアとウクライナの戦争だ。
いったいなぜこんな愚行が繰り返されるのか。
田中さんは言う。
「ある人を敵に回して、
人民の敵だ、国の敵だと言って分断をあおる」、
そういう政治家が必ず出てくる。
なるほど、周りの国を見ても、
経済が悪くなると他国批判が始まったりする、
そんなケースはいくらでもある。
隣国、あるいは同じ国内でも、
違う民族を「敵」に仕立て上げる。
人々の不満はその敵になだれ込み、
殺戮が起こる。
「同じ民族以外は人間ではない」と思えば、
人は人を殺せるのだ。
これは宗教戦争でも同じことだ。
「異教徒は人間ではない」と思うから、
殺せるのである。
世界から戦争をなくすのは、
不可能なのか。
田中さんは、戦争を起こさないためには、
「力のバランスを整える」ことが大事だと語った。
そして、もう一つ大切なことを言った。
「偏見は無知から生まれる」。
まさにその通りだ。
政治家の戦略もあるが、
偏見が生まれ、分断してしまうのは、
やはり「無知」だからである。
G7広島サミットは、
ウクライナのゼレンスキー大統領も参加し、
無事開催された。
各国の政治家たち、
そして民間レベルでも、
もっともっと話し合わねばならない。
地道ではあるが、
それが戦争を起こさない道なのだと思う。