田原総一朗です。
創価学会名誉会長の池田大作さんが亡くなった。
池田さんは1960年、
第3代創価学会会長に就任。
僕はその頃から
創価学会の取材を始め、
池田大作氏に3回話しを聞いた。
当時、創価学会は、
破竹の勢いで信者を増やし、
池田さんの著書『人間革命』は、
大ベストセラーになっていた。
創価学会に触れることは、
メディア界ではタブーだったが、
僕はだからこそ、
その内部を取材してみたいと思ったのである。
なぜ創価学会の信者が
こんなにも増えるのか、
池田大作という人物には
どんな魅力があるのか、
迫りたかったのだ。
僕は創価学会の広報に、
取材を申し込み、
ある女性信者を紹介してもらった。
彼女に密着取材をし、
折伏の会や大石寺なども取材。
池田さんの講演も聞いた。
人気絶頂のころで、
まさにカリスマという言葉がふさわしかった。
その後、池田さん本人も、
取材を受けてくれ、
一対一で長時間話したことが2度ある。
偉ぶったところが一切ない、
人の話を聞くのが
非常にうまいという印象だった。
なぜ創価学会に入信したのか。
僕は率直に聞いた。
池田さんは、
「法華経に感銘を受けたからだ」と答えた。
僕は「ウソだ。
法華経は僕も何度も読んだが、
そんなにいいとは思えない」と反論した。
すると池田さんは、
心を開いてくれたのか、
本当のところを話してくれた。
2代目会長の戸田城聖さんが、
「自分の後を継ぐのはこの人だ」と、
池田さんに惚れ込み、
何度も訪ねて来たのだ。
それが続き、
「この人が信じているものを、
自分も信じてみよう」と思ったという。
池田さんが会長就任以後、
創価学会は、
他の宗教を「邪宗」と呼んでいたのを、
「他宗」と呼ぶようになる。
日蓮宗からは破門になったが、
創価学会はグローバル化できた。
取材の時も、
宗教や宗派を否定しなかったことが、
印象に残っている。
また、生活を犠牲にするような、
多額の献金は認めない、
と打ち出したことも大きかった。
後に旧統一教会の多額献金が、
重大な社会問題になったことを、
照らし合わせて考えると興味深い。
池田さんは、公明党を結成。
日中友好にも尽力した。
公明党と創価学会の関係が、
「政教分離」に反しているという批判を浴びると、
1970年に学会と公明党を、
組織として切り離す「政教分離」を宣言。
他宗教との共存、
多額献金の禁止、
政教分離……。
池田さんは、創価学会を、
社会に受け入れられる、
「真っ当な宗教」にしたいと考えたのだろう。
宗教家であり、社会を見る目に優れ、
創価学会という組織を飛躍させた。
池田さんは、あまりにも大きな存在だった。
創価学会は次世代へ向け、
新たな何かを打ち出せるのか。