田原総一朗です。
4月13日、大阪・関西万博が開幕した。
僕は開幕に先立ち、
会場を見学する機会を得た。
1970年の大阪万博を、
僕は見ていない。
当時の僕は、
完全な反体制だったから
体制のイベントなど、
見てやるものかと思っていた。
国を挙げてのイベントに
国民が熱狂している姿は、
戦争を知っている僕には、
嫌悪感しかなかった。
万博の中身について
取材はしたかもしれないが、
全く記憶がない。
しかし、今回は違う。
今、僕はこの国をよくしたいと
心から思っている。
だから、
「未来をつくっていく」とは、
どういうことか。
じっくり見てやろうと思った。
実際に訪れると、
日本のテクノロジーに
文句なく感激した。
テーマ事業プロデューサーを務める
落合陽一さんのパビリオンは、
実に面白かった。
「合わせ鏡」をテーマにした
テクノロジーを駆使した、
不思議な世界だった。
そしてその技術以上に、
落合さんが
まだ37歳だということに、
一番驚いた。
同じくテーマ事業プロデューサーを務める
慶応大教授 宮田裕章さんの、
屋根も壁もないパビリオンも
大変面白かった。
宮田さんもまだ40代と、
若い有望な学者だ。
僕は、若い彼らとそのパビリオンに、
日本の希望を感じた。
そして、70年万博の立役者であった、
堺屋太一さんを思った。
堺屋さんも、70年当時、
35歳という若さ。
つまり当時、堺屋さんは「体制」、
僕は「反体制」だったわけだが、
日本を思う気持ちは同じ。
後年は大変親しくさせていただき、
いろんなことを語り合った。
堺屋さんは、
2019年に亡くなられた。
最後の著書『三度目の日本』の中で、
「次の万博では
第四次産業革命以後の日本を
存分に表現してほしい」
と書いているように、
大阪万博をとても楽しみにされていた。
大阪出身の堺屋さんは、
「日本の政治の中心は東京、
経済の中心は大阪だ。
アメリカでは、
首都ワシントンより
ニューヨークが人口も多く、
活気があるように、
大阪をもっと繁栄させたい」
と常日頃語っていた。
そして、大阪がニューヨークのように
発展しないのは、
「関西は、京都、奈良、
兵庫、大阪が、
互いに仲が悪いからだ」
と嘆いていたのを
よく覚えている。
京都や奈良は古都として、
兵庫は早くから海外に開いた、
国際港湾都市としてのプライドがある。
そのため「関西協力体制」ができない、
というわけである。
今回の万博は
批判も少なくないが、
会場でさまざまな関西の企業の
新技術やアイデアを目の当たりにした。
それらを生かせれば、
大阪の未来も明るいだろうと感じた。
さらに願わくば、
堺屋さんの苦言を思い出し、
今回の万博を機に、
京都や奈良、兵庫が、
協力して関西を盛り上げてほしい。
それが関西全体の、
いや日本全体の活気に
つながると思う。
最後に、
4月15日、
91歳の誕生日を迎えました。
たくさんのメッセージ、
ありがとうございました。
今年は戦後80年。
「戦争を絶対させない」
「言論の自由を守る」
を生きている限り
発信し続けたい。
これからも
よろしくお願いいたします。